書きつくし!

激変した生活についてボチボチ書いていきます

難しかった本を、間を空けずに2回以上読むことの良さ

どうも。8月初日で、すがすがしい気分のギャクバリです。

 

今回は、「読んで難しいと感じた本を、あまり間を空けずにもう一度読むと、

今度は驚くくらい内容が頭にスラスラ入って来ることがある」ということと、その理由についての話をします。

(1)何故、難しい本は、読むのが難しいのか

本には、一回読むだけで、スッと内容が頭に入って来る本もあれば、

読みながら何回も引っかかりを覚える難しい本もあるかと思います。

 

「本の中で使われている言葉が難しいから」という理由も勿論あるでしょうが、

読んで難しく感じる一番の理由は、

「初めて聞く話なので、話がどこに向かうかが分からず、

読み進めながら予想していた内容とは違う方向に、話が進むことが多々あって、

本の内容に振り回されるようで疲れるから」だと私は考えています。

 

どういうことかと言うと、例えば、分かりやすく読みやすい本は、読み手がある程度、予想できる方向に話を持って行ってくれます。

 

分かりやすい本として、『学問のすすめ』を例に挙げると、

「人間は生まれたときは平等なのに、格差があるのは何故か?」という問いから、

「それは、学べば、難しい仕事をして地位が高くなり、学ばなければ簡単な仕事をして地位が低くなってしまうからだ(だから学ぼう)」という方向に話が進みます。

 

これは、現代の常識から大きく外れているというわけではないので、

「読んでいて予想だにしなかった方向に話が進んで、著者に振り回された」と感じることなく、「なるほど」と頭に入って来やすいわけです。

 

一方で、私が難しいと感じた『サル化する世界』という本を例に挙げると、

一神教は、何を“人間性”と考えているか?」という問いに、

「神を畏(おそ)れる心、つまり、人間を超えるものがあると考えられることを、“人間性”だと考えている」という方向に話が進みます。

 

私が宗教に詳しくないのもあるかもしれませんが、

「この話はどういう結論になるのだろう?こういう話かな?あっ、違った」というように、

どういう流れで話が進むのか見当がつかない本が「難しい本」だと私は思っています。

 

このような難しい本は、読むのが難しい一方で、

「今までの自分では考えも及ばなかった考え方を提示してくれている」という意味では、読む価値ありと言えるのではないでしょうか。

(2)間を空けずに再読すると、最初に読んだときよりも、難しい本の内容が頭に入って来やすい理由

「話の結論の予測がつかない本は、読んで難しく感じる」という話をしてきましたが、

この難しい本を、つまずきながらも苦労して最後まで読み切ったとします。

 

この時点で、ツギハギであったとしても、本の全体像や、著者の言いたかったこと(結論)が、おぼろげながらでも理解できたはずです。

 

すると、どうでしょう。

 

もう一度、同じ本を読んだときに、ある程度、本の話の流れを掴んでいるので、

結構スラスラと内容が頭に入ってきやすいのです。

 

私も、このことに気づいたときは驚きでした。

 

逆に、「何で一回目に読んだときは、あんなに難しいと感じたんだろう?」と訝(いぶか)しく思ったくらいです。

 

その理由を考えていて、

「そうか。最初に読んだときは、本の内容が予測できなかったから読みにくく感じたけれど、

再読したときは、本の内容が分かっているから読みやすく感じるのか」ということに思い至りました。

 

ある意味、「本に書かれている内容が、自分の中での新しい常識になった」と言えるのかもしれません。

(3)難しかった本を、再読する良さ

まとめると、「難しい」と思った本ほど、

一回読んで「あー難しかったな、この本。自分が読むにはまだ早かったかな」と放り投げるよりも、

もう一回以上読み直してみると「あれっ、この本こんなに読みやすかったかな?」と思える良さがあるという話になります。

 

ちなみに、再読には誤読に気づけるという良さもあります。

私の話になりますが、3回目に読んだときに、ようやく誤読に気づいたときもありました。

全く逆の意味で読んでいた部分があったのには自分でも驚愕しましたね。

 

皆、本を読もうとすると、限られた時間の中で、本を読む時間も作る必要があるということで、

速読(速く読む)や多読(沢山の本を読む)が良しとされる風潮があるような気もしますが、

「これは」という本は、繰り返し読んでみると、内容を自分のモノにできるようで面白いのではないかなと思います。

 

 

以上になります。

ただ、前にも書きましたが、「本を読むことにまずは慣れる」という意味では、

最初は自分にとって興味があって本当に読みやすい本を沢山読むのが一番と思います。

 

次回は、「仕事に関係する本は、手元に置いておくだけでも役に立つ」という話をします。

作家が編み出した言葉を、一般的な言葉だと思って使っていた話

どうも。高校のとき図書委員だったギャクバリです。

 

今回は、小ネタで、「作家が編み出した言葉を、一般的な言葉だと思って使っていた話」をします。

 

私は今は「一般的でない」と気づいて使うのを止めてしまいましたが、

本を読んで、その作家特有の言葉を見つけたり、

「この言葉を使っているということは、この人も、あの作家のことが好きなのかな」等と思ったりするのもいいなという話です。

(1)高校のときに夏目漱石の小説を読んで、彼特有の当て字や造語と、一般的に使われる言葉がごっちゃになる

以前、このブログ本文に書いたか、コメントの返信に書いたか忘れてしまったのですが、

高校のときの国語の教科書に夏目漱石の「夢十夜」が載っていて、

その中の「第一夜」の描写が凄く美しいなと思ったのがきっかけで、

夏目漱石の作品を全て読んだことがありました。

 

図書委員だったので、図書室に入室した生徒の数を専用の道具でカチカチと数えながら、本がいくらでも読めたからですね。

 

大人になってからは小説をあまり読まなくなったので、このときに読んでおいて良かったとは思うのですが、一つだけ思わぬ副作用がありました。

 

それは、夏目漱石の小説には、漢字の当て字や造語が多いらしいのですが、

当時の私は「彼の作品の中に一般的でない言葉もある」ことに気づかず、

知らず知らずの内に、彼の当て字や造語も吸収してしまっていたということです。

 

その中の一つに「非道い」という、漢字の当て字がありました。

何となく読み方は分かるでしょうか。

「非道い」と書いて、「ひどい」と読みます。

 

夏目漱石の作品を読んだことで、「“ひどい”は、漢字で”非道い”と書くんだ」と完全に刷り込まれてしまったわけです。

 

それで、高校から大学にかけて、「ひどい」のことは「非道い」と書き続けていました。

(2)パソコンで漢字変換できずに「変だな」と思い、インターネットで単語を調べたところ、当て字であることに気づく

異変に気づいたのは大学生になってパソコンで文字入力をしようとしていたときでした。

 

「ひどい」を漢字変換しようとしても「酷い」しか出て来ないことに気づきます。

 

最初の内は、

「ひどいの漢字変換で、非道いが出て来ないのは不便だなあ。まあ、パソコンだから仕方ないか…。でもやっぱり、この場合は、酷いじゃなくて、非道いが相応しいな」

と、苦肉の策で「非道(ひどう)」と漢字変換してから、「い」を付け加えて「非道い」と書き続けていました。

 

しかし、それも面倒になってきて、あるとき「非道い 漢字変換」のようなキーワードでグーグル検索してみました。

 

すると、「非道いは、漱石の当て字ですよ」のように書かれたページを見つけて、

「ええっ!?」と、このとき初めて、「非道い」は一般的な言葉ではないことを知りました。

 

それまで私は、状況など「過酷」の方の意味でひどいときは「酷い」で、

人などに対して「非道」に感じるという意味でひどいときは「非道い」だと思っていたので、「しっくり来ないなあ」と思いつつ、

当て字を使い続けても仕方がないので、それっきり「非道い」とは書かなくなりました。

 

ただ、それまでの私の文章を読んだ人には「この人、夏目漱石に影響されているんだな」と生温かい目で見られていたのかもしれません。

(3)それぞれの作家特有の言葉や言い回しが、作品の中に散りばめられていると思うと面白い

夏目漱石の当て字や造語は群を抜いて多いようですが、

その他の作家や本の著者でも、分かる人には分かるような特有の言葉や言い回しがあるのかなと考えると、そういうものも本を読む醍醐味なのかなと思います。

 

さらに、その作品を読んだ人が、知らず知らずの内に影響されて同じような言葉を使い、

その作家の読者に「この人も、あの作家の本をよく読んでいるのかあ」と伝わるものがあれば、尚のこと面白いなと思います。

仲間を見分ける秘密の暗号のような気がしますね。

 

夏目漱石の当て字については、Wikipediaに色々と載っていたのですが、一般用語化されたものも多いみたいです。

本当に漱石が編み出したのかは確定はできていないようですが、「浪漫(ろまん)」や「沢山(たくさん)」は、確かに今でも一般的に使われているように思います。

また、「非道い」も、使っても間違いではないみたいです。

ja.wikipedia.org

 

以上になります。漫画だと、「使っていたらその作品や作者のファンだと分かる言い回し」が沢山あって、広く共有されているような気がしますね。

同じように、それぞれの小説家のファンに「その作家特有の言葉ってある?」と聞いて回りたいなと、ふと思いました。

 

次回は、閑話休題で、服屋で聞いた、ボールペン汚れを落とす方法の話をします。