インターネットで特に流行っている女性歌手の曲に見る現代人の疲れ
どうも。今回は、「インターネットで特に流行っている女性歌手の曲の歌い方と歌詞から推測される現代人の疲れ」について話します。
比較対象は、バブル期前後の女性歌手の楽曲2曲と、現代の「名前に“夜”が付く」女性歌手の楽曲3曲です。
「バブル期と比べたら、どの時代の人も精神的に疲れてるだろ!」というツッコミはあって当然と思いますが、一番対照的で比較しやすいので、バブル期と比較します。
(1)「強い」歌い方から「柔らかい」歌い方へ
①バブル期の女性歌手の「強い」高音の出し方
結論から言うと、その時代に流行した女性歌手の「高音」の出し方が、昔と今で違うということです。
昔、特にバブル期前後は、女性歌手の高音の出し方は、低い音のときとほぼ全く同じ調子で、どれだけ高音になろうとも、「声を張っている」曲に、流行の曲がちらほらあります。
音楽番組の、昔の曲特集でよく流れる「ロマンスの神様(歌:広瀬香美さん)」が特に分かりやすいと思うので、公式動画もあったため、下に貼っておきます。
一番のみの歌詞になりますが、サビの高い音程の部分でも、
息のあまり入っていない、よく通る、言うなれば「強い声」で歌っているのが分かるかと思います。
また、「バブル期に流行した曲」で検索して思い出したのですが、
「Diamonds(ダイアモンド)(歌:プリンセス・プリンセス)」という歌も、
高い音でも、強く張った声の調子で歌われている楽曲です。
公式動画が見当たらなかったのでここには貼りませんが、今でも音楽番組等で以前を振り返るときによく流れる歌なので、思い浮かべられる人も多いでしょう。
サビの「ダイアモンドだね~♪」が特徴的な歌です。
高音も、裏声を使わず、張っている声で歌われています。
このように、2000年代よりも前の時代では、女性歌手の「高音も強い歌い方で歌い上げられている歌」に、流行曲が数多く存在しました。
ただ、「張った声・強い声」は、高音であればある程、聴いている人に少し負荷を与えます。
声というものは、空気を振動させて伝わって来ることを考えると、
鋭い声よりも、柔らかい声の方が、聴いたときの衝撃が少ないことを考えると分かりやすいかもしれません。
つまり、以前は「高音が張った強い声でも流行曲が数多く存在した」ということは、
「以前の時代では、高音を強い調子で歌っているのを聴いても負荷を感じず、好んで聴くことができた」、
「強い高音の歌声を、受け入れられるくらいの元気が、以前の人達にはあった」
と言い換えることもできると、私は考えています。
すると、現代のインターネット上で特に流行している女性歌手の歌い方は、以前とは異なることが分かります。
②現代の女性歌手の「柔らかい」高音の出し方
ひるがえって、現代の、特にインターネットで流行している女性歌手の高音の出し方は、ある程度高音になった時点で、裏声(ファルセット)または柔らかい歌声になっていることが見て取れます。
夜トリオとでもいうのか、名前に「夜」が入っている、「YOASOBI」「ヨルシカ」「ずっと真夜中でいいのに。」の代表的な曲を1つずつ見て行きます。
(この三方の曲が好きな方達のことを、「夜好性」とも呼ぶらしいですね)。
まずは、「YOASOBI」の『夜に駆ける』という歌からです。
高音に加工(=音の調整)をかけてあるので少し分かりにくいのですが、
裏声と分かりやすいのは、上の動画の、3:04からの「♪釣られて言葉にした時」の「釣られて言葉に」の部分、
3:08からの「♪笑った(わらあったー)」の「あ」の部分、
3:11からの「♪騒がしい日々に笑えなくなっていた」からは、裏声がかなり多くなっています。3:52からの「♪空を泳ぐように」の部分も裏声ですね。
(歌詞に合わせて、地声と裏声を使い分けていると見ることもできます)。
さらに、高音を地声で歌っているところも、歌声を(音声ソフトか何かで後から)調整(=加工)することと、やや息を入れて高音も歌い上げられていることで、
聞き手に、そこまで負荷を与えない声の調子になっているように感じられます。
続いて、「ヨルシカ」の『だから僕は音楽を辞めた』という歌です。
この歌は、上の動画の2:49からの「♪間違ってないだろ」の部分が裏声になっています。
3:16の「♪どうでもいいんだ」も裏声です。
3:25の「♪あーあーー」の部分も、高い方の「あ」は裏声でした。
3:47の「♪売れることこそがどうでもよかったんだ」も裏声です。
このように、高音でそのまま声を張り上げて歌うと、聞き手に負荷を与えるであろう部分は、裏声で優しく歌い上げられています。
最後に、「ずっと真夜中でいいのに。」の『秒針を噛む』という歌です。
上の動画の2:38からの「♪「ごめん。」って返さないでね」の、「め」の高音部分は裏声になっています(ちなみに、1番は同じ歌詞ですが、地声で歌われています)。
3:28からの「♪奪って 隠して 忘れたい」も裏声です。
後、細かいところなのですが、1:04からの「♪白昼夢の中で」の「で」も裏声になっています(2番の同じ歌詞も同様です)。
最後、4:03からの「♪ハレタ レイラ」の「ハレ」も裏声ですね。
このように、ここまでゴチャゴチャと書きはしましたが、現代の流行曲は、高音では裏声も採用されているということです。
全体を通した歌声も、バブル期前後の曲として挙げた2曲と、現代の曲として挙げた3曲では、
カテゴリー分けすると、同時代の歌声同士の方が、より近く、似ていると感じられる方が多いのではないでしょうか。
現代でインターネット上で流行した曲(=基準は、公式動画の再生回数1000万回以上)は、柔らかく歌い上げられている歌が多く、
「柔らかく優しく歌われた曲を好んで聴いている2010年代~2020年代の方が、
2000年代以前よりも、人々が疲れていて、強い歌声の負荷に耐えにくくなっているのだろうか」と、私は考えています。
(2)歌い方だけでなく、好まれる歌詞にも「疲れ」が影響しているのかもしれない
ここまでで、取り上げた歌の動画を視聴くださった方や、取り上げた歌をご存知の方の中には、
「歌い方よりも、歌詞の内容が明確に違う」
と感じられた方もいらっしゃるのではないかと思います。
私も、そう思います。
例えば、上記でも紹介した、2000年より前に発表された歌である『ロマンスの神様』は、「飲み会で出会った男性と上手く行った」という内容の歌です。
『Diamonds(ダイアモンド)』という歌も、「自分の体験した場面がダイアモンドのようで宝物だ」という内容の歌です。
「自分を肯定的に捉え、未来に希望を抱いている」ことがよく分かる明るい歌と言ってもよいでしょう。
(勿論、歌詞を細かく見ると、全てが明るい内容というわけではないことも分かりますが、大筋で見ると明るい歌詞だということが言えると思います)。
一方で、最近の曲として上記に挙げた3曲は、
『夜に駆ける』は、動画のPV(映像)を見ても分かる通り、恐らく心中のことを歌った歌詞です。
「死にたがっている女性と、女性を止めようとしていた男性がいて、男性が『終わりにしたい』と言ったときに、女性が初めて笑った」という内容の情景が描かれています。
仮に、心中のことでないと解釈したとしても、「別れ」に向かおうとしている女性と男性の歌と捉えられるかと思います
(私は、最初PVを見ていなかったので、別れの曲だと思っていました)。
そして、根底では「日々の暮らし(外の世界)が嫌になっている」ということが描かれています。
(「♪騒がしい日々に笑えなくなっていた」「♪変わらない日々に泣いていた」等)。
『だから僕は音楽をやめた』という歌も、歌のタイトルの通り「音楽をやめた」歌です。
「昔は信念があって何度でも曲を書いていたけれど、今は音楽をやっても儲からないし歌詞も適当でいいと、うそぶくしかなくなってしまった。だから、音楽をやめた」という内容の歌になっており、挫折の歌と解釈していいと思われます。
『秒針を噛む』という歌も、「相手と全く分かり合える部分がなく、相手から見放されてしまったけれど、偽りの(=形のない)言葉で謝ってほしくない」という心情のようなものが歌われた歌詞です。
未来に希望を抱いているような描写は一切ありません。
以上のように、3曲とも、「何かしらに上手く行っていない」ことが歌われた歌詞となっています。
本当に単純に言ってしまうと、「好まれる歌詞の内容が、以前のポジティブなものから、現代ではネガティブなものに変わった」という見方もできるかと思います。
このことも、現代では「元気で明るい曲から発せられるパワーを受け止められる程のエネルギーが少なくなっている」、つまり、「疲れているのだろうか」と私は感じました。
ただ、一方で、「いくら疲れていても、暗すぎる曲を聴くと、それはそれで負荷がかかる」という一面もあると思います。
この「暗い歌詞(仮に“マイナス”とします)」の負荷を緩和するために、
「柔らかい歌い方や、明るめの曲調(仮に“プラス”とします)」等の要素を加えることで、
“マイナス”と“プラス”の要素で中和(=ゼロに近くなる)されて、
負荷のかかりにくい、心地よい音楽を作り上げているのが、現代の曲の特徴というように、私には思われました。
以上になります。本当は、今回取り上げた「バブル期」から「夜トリオ」の間にある、2000年代の女性歌手の歌の話と、その後のボーカロイドの歌とも比較しながら話したかったのですが、力尽きました。
ここまで読んで下さった皆様も疲れたことと思います。
「現代人が疲れているのではないか」という話をしているのに、負荷のかかる長文を読んでいただいて、誠にありがとうございました。
次回は、「私が、半音高く、音が聞こえるようになった」話をします。
今回、色々な歌を調べていて気づいたことです。
次回は、そんなに長文にはならないので、負荷のかかりにくい文章にしたいと思っています。