書きつくし!

激変した生活についてボチボチ書いていきます

レビューはあくまでも、レビューの書き手によって切り取られた内容であるということを私の例つきで紹介

どうも。今週は何故か疲れ果てていて、ブログの更新ができていなかったギャクバリです。ですが、本も読み終わったので、ようやくブログを書けそうです。


今回は、いくら詳しくレビューを書いているように見えても、レビューを書くときは結局は本の一部分を恣意的に(レビューの書き手の裁量で)切り取らざるを得ないという話を、私の例付きでします。

使う本は、一昨日読み終わった『寝ながら学べる構造主義内田樹著)』です。

 

詳しいレビューを読むと「元の本を読まなくてもいいかな?」という気分になるときもありますが、

レビューは、レビューの書き手の取捨選択がかなり入っているので、

レビューを読んで「面白そう」と思った本については自分でも読んだ方がいいという話です。

(1)私が「この内容で書こう」と決定した正規のレビュー

まずは昨日、読書メーターブクログに載せた私の正規の(?)レビューです(文字数制限255字以内)。

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前回書いたレビューの型とはまた違う形になっていますが、

①自分の感想

最高に面白かった。

②一言でまとめると、どういう本だと思ったか

現代(今)の考え方がいかに「構造主義」の影響を受けているかが分かる本。

③本の全体の構成(目次を参照)

本の構成としては、構造主義に大きな影響を及ぼしたマルクスフロイトニーチェの話の後に、構造主義の始祖とされるソシュールの思想と、構造主義四銃士とされるフーコー、バルト、レヴィ=ストロースラカンの思想について述べられている。

 ④自分の感想の補足

本書では、できるだけ解り易く噛み砕いた説明が試みられているが、「寝惚けた頭で理解できるほど簡単な話がなされている」というわけではないので、寝ながら読むのではなく座って読むのがいいと思われる。 

 

本の詳しい内容には触れず、本の構成と感想に絞ったレビューになっています。

それでは、ここから、同じ本の違うレビューも2つ書いてみます。

(2)面白いと思った内容部分に詳しく切り込んだレビューの場合。どのような本かという印象が変わってくる

続いて、上のレビューだと、個人的には内容がちょっと薄い気がするので、もう少し本の内容に踏み込んだ内容のレビューを2つ書きます。

 

印象がどう変わるか見ていただけたらと思います。

<レビュー案その1:第1章の最初の部分にのみ注目した内容>

①本の文類:構造主義」について分かりやすく書かれた新書の本。

②本全体の内容:構造主義とは、「世界の見え方は時代や地域、集団によって異なる。個人は自由に物事を見て考えているのではなく、自分が属する集団が受け入れたものだけを選択的に見せられているのである」という考え方、イデオロギーのことである。

その構造主義の代表的な思想について、例を多く加えながら説明がなされている。

③印象に残った部分・感想:私は本書を読んで、「あるイデオロギーがその時代で支配的である」ということは、皆がその思想についての本を読んでいるというわけではなく、

何もしなくても、その考え方が自明なものになっていて、

その思想を批判するときも、まさにその思想の用語や概念を用いないと批判できないという状態であることだという部分が特に印象に残った。

その点では、いかに現代が構造主義的な考え方に染まっているかがよく分かったように思う。

④本を読んでどうしたいと思ったか:この本を足がかりとして、本書で引用されていた原著も読んでみたいなと思った。

このレビュー案その1の書き方は、前回のレビューの型通りに書いています。

 

最初の正規レビューに比べて、「構造主義とはこういうことで、こんな面白そうなことも書いてある本なのか」という印象になりましたでしょうか?

お次は、それぞれの章についての説明と、印象に残った部分を簡単に述べたレビューです(このレビューは③の部分が分かりにくいので、興味がなければ読み飛ばして構いません)。

<レビュー案その2:全ての章を少しずつ掘り下げた内容>

①本の文類:構造主義」について分かりやすく書かれた新書の本。

②本全体の内容:構造主義の代表的な思想について、6章に分け、例を多く加えながら説明がなされている。

③章ごとの詳細印象に残った部分:まず、構造主義の前史について述べられている1章で、マルクスの「“私”は元から存在しているのではなく、生産=労働によって“私”は決定づけられる」こと、

フロイトの「自分について意識的に分かっていることはごくわずかで、大半のことは“抑圧”によってその人の無意識に押しやられている」こと、

ニーチェの「大衆は、自分で考えて行動しているのではなく、他の人と同じように振るまうことを行動基準とした“畜群”である」という思想が説明されている。

続く2章で、構造主義の始祖とされているソシュールの「物がまずあって人間が言葉で名付けているのではなく、名づけられることによって同時に物事の意味が確定される」つまり、「既に決められてしまっている区切り方による他人の言葉でしか自分を語ることができない」と解釈され、確固たる「私」という西洋の考え方に致命傷を与えたことが述べられている。

3章で、フーコーが「黙秘され隠蔽された出来事である狂気や身体の在り方や性について調べ、あらゆる“知”が“権力”的に機能すること」を発見したことについて説明されている。

4章で、バルトの「言葉遣いによって自分の考え方が固定されてしまうし、テクスト(=織り上げられたもの)によって自分の見方が変わってしまう(黒人でも白人の視点で映画を観る等)」話がなされている。

5章で、レヴィ=ストロースの「未開人と文明人は優劣が付けられるものでなく別の思考であり正否はない。また、人間のどの社会制度も、必ず“贈与”と“変化”を必要としている」という思想が述べられている。

最後に、6章で、ラカンの「子どもは、2つの詐術、①鏡に映った自分という、本当は自分ではないものを自分と思い込むこと、②世界に遅れて到着したために既に何もかもが決まってしまっているという不条理と自分の無力感を、外部にあって強大な“父(権力者等の全てを含む)”のせいにすることによって、正常な大人になる」という考えについて説明がなされている。

④どういう人にお薦めの本か:現代人が「常識」として受け入れている「構造主義の考え方」がどういうものなのか知りたいという人にお薦めである。

恐らくですが、この「レビュー案その2」まで読むと

「この本はこういうことが書かれた本なのかあ。なら、もう分かったから、元の本は読まなくてもいいな!」

という結論に、私を含めてなる方もいらっしゃるのではないかと思うのですが、

この「レビューその2」でさえ、めっちゃくっちゃに重要な部分を切り取った上で書いているということが、今回言いたいことです。

 

そして、「レビューその2」でさえ滅茶苦茶に切り取っているとなれば、

私の「レビューその1」だけ読んで「こういう(ことしか書かれていない)本なのか」と思うのはさらに危険です。

(3)レビューする人によって、どうとでも書けるのがレビューなので、興味を持ったら本を実際に読むと良いと思う

 以上、見ていただいた通り、レビューする人によって、どうとでも切り取って書ける(書かざるを得ない)のがレビューや感想なので、

あまりレビューには惑わされず「面白そうな内容だな」と思う本があれば、元の本を手に取って読んでいただけたらなと思います。

 

さらに、書き手によって分かれるのが感想で、「面白い」「詰まらない」「難しい」「分かりやすい」等は、好みで千差万別に変わってしまいます。

 

「感想が書き手によって変わる」ことくらいは、レビューを読む前に分かっているつもりでも、

レビューに「詰まらなかった」とか「よく分からなかった」と書かれてあると、「じゃあ、読むのを止めておくか」となりがちだなと自分でも思います。

 

それで、本当は自分にドンピシャな本だったかもしれないのに、読むのを逃してしまうのは惜しい気もするので、

難しいことではありますが、あくまでも本の内容の部分の説明を読んで興味を持てるかどうかで、その本を読むかどうかを決められたら良いのではないかなと考えています。

 

 

以上になります。今回の話は、「人によって本の見方が変わる」という、まさしく構造主義的な話になりましたね。

 

次回は、「無限お好み焼き」の日常話か、絵本のレビューに挑戦か、どちらかの内容で書きます(順番の問題なので、どちらの話も前後して書きます)。