書きつくし!

激変した生活についてボチボチ書いていきます

人は皆、晴れ女・晴れ男である。なのに、自分の事を雨女・雨男だと感じる理由。それぞれどのような性格傾向か

どうも。迷信は全く信じていないギャクバリです。

信じていないというより、色々な事を真に受けやすいので、意識的に信じないようにしていると言った方が正しいかもしれません。

納得できる根拠があって反対意見も聞いた上で、それでもなお正しいと思えたことのみ信じるように気をつけています。

 

今回は、最近ふと自分の事を「どちらかと言うと雨女かな」と思いかけた後に、「いや、それはおかしい。日本に住んでいる以上、皆晴れ女、晴れ男のはず」と思い直した話と、

皆、天気に巡りあわせた回数で言えば、晴れ女・晴れ男のはずなのに、何故、自分の事を「晴れ女・晴れ男だ」と思う人と、「雨女・雨男だ」と思う人に分かれるのか、どういう考え方なのかについて考えたことを書きます。

最近、自分の事を「雨女」だと思いかけて、「そんな人間は日本にはいない」と思い直した話

最近と言っても1か月前(9月)くらいですが、ちょうど車に乗ったり降りたりする前後に雨が降り出すことが2~3回、日にちを置いてですがありました。

 

冒頭にも書いた通り、私は迷信は信じないようにしているクチなので、人に「私は晴れ女だと思うんだよねー」とか「私って雨女かも」と話したことは一度もありません。

 

勿論、自分でも「一人の人が居ることと、天気が晴れたり雨になったりすることには、何の関連性もない」と思っていました。

 

しかし、この時はふと「私はどちらかと言うと、雨に遭遇しやすい可能性はあるかも?」と思いそうになったわけです。

1年全体で見れば、「晴れ」に遭遇している時が圧倒的に多い

ここで、本当に「自分は雨に遭遇しやすいのか」考えを巡らせてみました。

 

すると、「日本の天気自体は晴れていることが多いので、日本に住んでいる私も当然晴れに遭遇していることの方が多い」という結論に至りました。

 

具体的な体験を思い出してみても、「あの時、急いで家を飛び出した時も晴れていた」し、「職場を出た時も晴れていた」時の方が圧倒的に多かったです。

 

また、このブログを書くにあたり、日本の天気についても調べてみたのですが、やはり雨で無い日の方が圧倒的に多く、比率で言うと、大体「晴れ:雨:曇り=6:1:3」なんだそうです。

(※引用:一年を通して、晴れの日と雨の日の割合ってどちらが多いんでしょうか?年... - Yahoo!知恵袋

 

雨の割合は、約1割だけ(約10%)!残りの約9割(約90%)は晴れか曇り!

 

しかし、ここでまた別の疑問が生まれました。

 

晴れだった日の方がほとんどだったはずなのに、何故自分は雨に遭遇しやすいと思いかけたのか?という疑問です。

悪かった結果に焦点を当てがちだと、自分のことを「雨女・雨男」だと思いやすいのではないか

「日本には晴れ女と晴れ男しかいない」という結論に至った後に、真っ先に思ったのは「ちょっと私はネガティブ思考になりかけているんじゃないか」ということでした。

 

どういうことかと言うと、沢山あった晴れの時に外に出ていた経験よりも、数える程しかない雨の時に外に出ていた経験に注目して、

「自分が外に出る時に雨がよく降るなあ」と思いかけていたのが、ナチュラルにマイナス思考っぽいということです。

単純に、9月が天気が崩れやすいというのもあったかもですが。

 

しかし、人間というのは、割とそういう風に「良くなかった出来事」に目を向けがちらしいですね。

 

何故かと言うと「危機的な状況や良くない状況というのは自分の生死に直結することだから印象に残りやすいようになっている」からなんだそうです。どこかで読みました。

 

以上のことから、「晴れ女・晴れ男」と感じる人と、「雨女・雨男」と感じる人の傾向について考えたことをまとめます。

自分の事を「晴れ女・晴れ男」と感じる人は、物事をそのまま捉える素直さがありポジティブな反面、小さな問題はスルーしがちかも。逆に、自分の事を「雨女・雨男」と感じる人は、危機察知能力が高い反面、物事に思い悩みがちかも

最初に断わっておくと、血液型診断のようなことはしたくないので、ある程度根拠があることを話したいと思います。

①自分の事を「晴れ女・晴れ男」と感じる人の傾向

まず、自分の事を「晴れ女・晴れ男」と感じる人についてですが、日本の天気の9割は雨以外の天気です。曇りの日を除いても、晴れの日は6割程あるそうです。

 

そのため、「自分が外に出ている時に、晴れの時が多い」と感じているのなら、事実をそのまま捉えているということになります。

 

つまり、「出来事をそのまま捉える素直さがある」と言っても良いのではないかと考えます。

 

一方で、一割はあったはずの雨の時がほとんど印象に残っていない又は無視しているということであれば、「自分に都合の悪い事はスルーしがち」と言えるかもしれません。

良くなかったことを意識の外に置くということは、自分の精神衛生を保つのに役立つのでむしろ良い面もあると思います。

ただ、重要な問題まで無視してしまわないように少し注意が必要かもしれませんね。

②自分の事を「雨女・雨男」と感じる人の傾向

次に、自分の事を「雨女・雨男」と感じる人の傾向についてですが、日本では1割程度しかない雨の日が強く印象に残っているということになるので、危機察知能力が高いと言えるのではないでしょうか。

 

さらに、「自分は雨女・雨男だから、天気が悪くなりそうだったら傘を持ち歩こう」と対策まで立てているような人なら、一般的な人よりも危機を回避できる回数も多くなっていると思われます。

 

一方で、1割しか起こっていないはずのネガティブな出来事(雨)に目が行きがちということであれば、日々の出来事で思い悩むことが多い人かもしれません。

 

「自分が悪い面ばかり考えているな」と感じたら、全体の中での良い面についても目を向けてみると気持ちが楽になるんじゃないかと思います。

③自分の事を「雨女・雨男でも晴れ女・晴れ男でもない」と思っている、そういう迷信は馬鹿馬鹿しいと考えている人

最後になりますが、自分の事を「雨女・雨男でも、晴れ女・晴れ男でもない」と思っている人は、論理的な思考ができて、科学的に考えられるリアリストと考えられます。

 

ご存知の通り、天気の変化は気圧が高いか低いかで決まるものであって、その人がいるかどうかは全く関係がありませんからね。

 

人の感情の変化によって晴れたり雨が降ったりするのは、小説や漫画の中だけの話です。

 

安易な関連付けをせずに、物事を客観的に見ることが出来ると言い換えてもいいでしょう。

 

特に気を付けた方が良い事は思いつきませんが、敢えて言うなら、

「そうは言っても、人は自分が体験したことを自分に関連づけて考えがちなので、誰かが非科学的なことを話していても、特に害がない事柄なら『そう(かも)だねー』と共感してあげた方が人付き合いが上手くいくかも」

ということくらいでしょうか。

まとめ:自分とは違うタイプの人と話したり意見を聞いたりすると、自分にはない部分を補完できるのではないか

結論としては、「自分は晴れ女・晴れ男と考えるような楽観的なところがあるなあ」と思うなら、自分の事を雨女・雨男と考えるような人や、そういう物は存在しないと考えている人に意見を聞くと得る物が大きいのではないかと思います。

 

「自分の事を雨女・雨男と考えるようなところがあるなあ」と思うなら、自分の事を晴れ女・晴れ男と思う人の前向きさに救われることもあるでしょうし、迷信は信じない人から客観的な考え方を学べるのではないでしょうか。

 

「自分は晴れ女・晴れ男/雨女・雨男というものは存在しないと思っている」という人なら、他のタイプの人と話すことで「世の中にはそう考える人もいるのか」という気づきがあるかもしれませんね。

 

自分はどのタイプなのか、周囲の人はどのタイプの人が多いかを考えてみると、自分の人付き合いの傾向が分かって面白いと思います。

 

 

以上、私のタイプはどれかと言うと「②ネガティブに考えがち」なので、意識的に「③客観的に考える」ように矯正しているギャクバリがお送りしました。

 

そのため、③のタイプの話を聞いたり読んだりすると「面白いな!勉強になるな!」と思いがちですね。

また、①のポジティブタイプの考え方に触れるとちょっと感動する時があります。「その考え方は自分も取り入れたい」と思うのは①タイプの人が多いです。

最後に、②のネガティブタイプの人の考え方に触れると「分かるー」と共感することが多いですね。その考え方を鋭い言葉や的確な言葉で表しているのを見ると、痒いところに手が届いた感覚というのか「それそれ!」と言いたくなります。

 

 

それでは、次回は、使っていない部屋から引っ越し前の掃除に取り掛かります。