本来、物を捨てたら後悔して当たり前だと今更気づく。ついでに、何故「捨てても後悔しない」と言われているのか理由も判明
どうも。皆様がふわっとした気持ちでとんでもない物を捨てるのを防止ししたいギャクバリです。
今回は、私の長年の疑問であった「皆は、取り返しがつかない物を捨ててしまったと後悔したことが本当にないのだろうか?」ということと、
「何故、物を捨てても本当の意味では後悔しないと言われているのか?」ということについて、謎が解けたのでその話をします。
(1)とんでもない誤解をしていたことに気づく
私は今まで、「捨てても良いと思った物、捨てるか迷った物は、基本的に必要ない物だから捨てても全く問題ない」という話を何の疑いもなく信じていました。
以前、人からの貰い物を捨ててしまって後悔した話を書きましたが、
私より多くの物を減らして来ているはずのミニマリストの方々の動画等を見ても、
「これは捨てて後悔した!」という話を見たことがなかったので、
よっぽど私が捨て方が下手だったんだろうなと考えていました。
しかし、つい最近まで、自分が納得のいく範囲で物を減らしていた中で、
「いや、これもあれも邪魔に感じる物もあるけど、捨てたら後悔するのは当然だ」と天啓が降りたのでした。
①小さい頃から集めて来た物、大事な人から貰った物を、何の考えもなしに捨てたら後悔するのは当たり前である
思い浮かべてみてもらえたらと思うのですが、
幼稚園の頃大事にしていたぬいぐるみや玩具、小学生の頃に集めていたカードやゲーム、中学生の頃に両親から貰ったプレゼント、高校生の時にずっと使っていた文房具。
貴方の成長と共にあった物を、
「誰かが捨てても良いって言ってたから」
「何か部屋が広くなるって聞いたから」と、
何となく捨ててしまったらどうでしょう。
何かの拍子に、「うわっ、捨てなきゃ良かった!」と後悔して当然だと思いませんか?
私も、何故こんな簡単なことに気づかなかったんだろう?と今更ながらに思いました。
②「捨てても後悔しない」というのは正確な表現ではない。捨てた先の未来に大きな利益を見出していて、強固な意志と考えの元に捨てたときに「捨てても後悔しない」が正しい
結局のところ、「もう必要ないと感じた物は捨てても後悔しない」のは、
「捨てても後悔しないのがミニマリストだから」ということなんだと思います。
何故後悔しないのかというと、例えば、
「気分が酷く落ち込んでいて、物を手放すことで自分が変わった。もう前の自分には戻りたくない」とか、「貯金が出来る」とか、「引っ越しが楽になった」等の理由があるからです。
物を減らした先の未来がとても望ましいものだとミニマリストの方達は捉えていて、
そのプラスの未来が待っているのだから、物をなくすことのマイナスを打ち消すことができる、気にならないのです。
この「物を捨てることと引き換えに、何か自分にとって良いことが待っている。だから物を捨てるんだ」と自分で考えて決めているということが重要で、
「何かミニマリストって格好よいな~。自分も物を捨てようかな~」のような、
ぼんやりした理由で始めると、結局、物がなくなった後に何も残っていなくて後悔するというような状況になりかねません。
③失敗や後悔は、物を捨てる時以外でも体験するもの。「後悔してもよい」と思えた時から始めるとよい
しかしながら、失敗したり、後悔したりというのは、別に物を捨てる時だけに起こることではないんですよね。
取り返しがつかないことだって、人生の中でいくらでもあります。
なので、「後悔してもいいから、物を厳選したい」という決心がついた時に始めたらよいのではないでしょうか。
物を捨てる中で失敗を通して、
「自分はこういう物を大事に思っているみたいだから捨てない方が良い」ということが段々見えてくると思いますし、そういう気づきも面白いものです。
(2)失敗するなら早い方が良い。歳を重ねて身体が弱っている時に取り返しのつかない失敗をすると致命傷になりかねない
ただ、決心が着いた時に始めれば良いと書いたものの、
もし、「物が多すぎるから、いつか必ず物を減らした方が良い気がする」と感じているなら、
老年期にするよりは、立ち直りが早いと思われる元気な内に捨ててしまった方がいいかもしれません。
というのも、「実は大事だった物が置いてあったけど、今はガランとした空間」が精神に与える衝撃はなかなか強烈で、
勿論段々慣れてはきますが、もし身体に衰えを感じてきた時にそのダメージを食らったら、体調を崩したり、下手をすると致命傷になり得るのではないかと思ったからです。
私も、大切な物(漫画のこと)を捨てた後のガランとした空間には最初かなりギョッとしました。
捨てた事自体は良かったと今でも思っているんですけどね。
以上、誰でもウェルカムなように見えて、半端な気持ちで踏み込むと火傷するのがミニマリズムと思い始めているギャクバリがお送りしました。
次回は、「ゲームを全部捨てても何のダメージもなかったことに悲哀を感じた」という話を書きます。