書きつくし!

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100から1に減らすことは本質的に同じだが、1から0に減らすことには発想の飛躍がある。ミニマリストは自分がどうなりたいかで、どちらかを選べば良いのではないだろうか

どうも。前回の記事で「物は減らし終わったけど転職活動は全く進んでいない」と書いた矢先に、どこかから私が退職するつもりであることが漏れて、それなら自分達の所で働かないかという電話がかかってきたギャクバリです。

そんな『人生がときめく片づけの魔法』の本の中にある事例のような話がありますかね?しかし、自分の人生に関わることなので、今後自分はどうしたいのか、どのような仕事を望んでいるのか、どう生きていきたいのか良く考えてから返答をしたいと考えています。

 

予想外のことが起きたので前置きが長くなってしまいましたが、今回は、「同じ種類の物を100個から1個に減らすことは本質的に変わりはないけど、1個しかない物を0個にするには発想の大転換が必要」という話をします。

物を減らすとはどういうことなのか。実際に自分で物を減らした体験を元に語る

こちらのページにある通り、私は18日間にわたって物を減らしてきました。

 

その時に気づいたが、

「3個の同じ物、5個の同じ物というように、複数個ある物を1個に減らすのはそんなに難しくない。いくつかある中で一番良い物を選べばいいだけ。

しかし、1個しかない物を完全に0個にする、つまり無くすことは非常に難しい」

ということでした。

 

「何なら全部捨てようか」くらいの意気込みは、どの分類の物に対してもあったにも関わらずです。

 

私は服類、本類等、それぞれの分類ごとに平均して大まかに100個程度ずつ持っていたので、タイトルでも「100から1に減らす」としましたが、この「100から1に減らす」ことと「1から0に減らす」ことの違いは何なのでしょうか?

何故、1個の物を0個にすることには大きな困難が伴うのでしょうか。

1つの物を「完全に持たない」という選択をすると、必ず、今までの考え方と行動を変える必要が生まれる

あまり抽象的な話ばかりをしても仕方がないので、具体的な物としてボールペンを例に挙げます。

仮に、私が色々なボールペンを100本持っていたとします。この100本あるボールペンを1本だけにしたとしても「ボールペンで何かを書く」という動作や行動自体は変わりません。

もし、最近全くボールペンを使っていなかったとしても、いつでも「ボールペンで何かを書く」ことは出来るわけで、「ボールペンで書く」こと自体を捨てた、否定したことにはならないということです。

 

しかし、仮に「1本だけ持っていたボールペンを0本にする。なくす」という決断をしたとします。

すると途端に「じゃあ、メモをする時はスマートフォンに記録しようか?」とか、「メモをすることは止めにして、頭の中に入れるだけにしよう」といった、今までの行動を大なり小なり変えることを考えないといけなくなります。

つまり、今までとは違う発想の跳躍が必要になります。

ミニマリストとは、イチからゼロへの壁を突破して来た人達のことである

ミニマリストの皆さんの持ち物の量を拝見するに、ミニマリストはその1から0への跳躍を幾度も体験してきた人達なのだろうなと思いました。

今回自分でも物を減らしてみて実感したのですが、単純に全ての物を1個ずつにしただけでは、1ルームに無理なく綺麗に収められる量にはならなさそうなんですよね。

私が、自分の事をミニマリストには程遠いと思う理由

もしかしたら、読んでくださっている皆様の中には「いやキミも、掃除機やらTVやら炊飯器をためらいなく処分してきたやん」と思われた方もいらっしゃるかもしれませんが、私が掃除機等を捨てたのは少し事情が違うと考えています。

 

何故かというと、私が1個しかないのに処分した物はどれも、もう既に他の物に乗り換えていて使っていなかったり、「これは本当に嫌だ。ない方がいい」と思っていた物ばかりだったからです。

 

具体的に言うと、掃除機は、既にクイックルワイパーとコロコロに乗り換えていて長い間使っていませんでした。掃除機を使う時に、腰をかがめないといけなかったり、コードが絡まることを気にしないといけなかったりするのが嫌だったからです。

 

TVに至っては、未だに箱型ブラウン管のTVを持っていて、しかも現自宅に引っ越してからは砂嵐になっていて全く映っていなかった、持っていても意味のない代物でした。

そもそも何故液晶TVに買い換えていなかったかというと、TVの何を見せられるか分からない感じが好きでなく、自分で好きな物を見られるインターネットの方が好きで、そちらばかり見ていたからですね。

 

ついでに、炊飯器は予約機能が壊れているくらいに古いせいなのか炊き上がりのご飯が不味すぎるのが不満だったので処分しました。

試しに鍋で作ってみたら、炊飯器よりも早く美味しく炊き上がったので、米のせいというわけでもなかったようです。

 

そのようなわけで、掃除機にしろTVにしろ炊飯器にしろ、持っている時点でマイナス(嫌だ)に感じる物だったので、1から0への飛躍という程ではなかったわけです。

ミニマリストの方々がしているであろう発想とは

上記の通り、私は単純に嫌な物を処分しただけですが、これがミニマリストの方々の場合、

「今は問題なく使ってはいるんだけど、全部手放してみようかな?場所と手間を取るし。自分にとって絶対に必要というわけではないし。代わりにこちらを使おう」という発想が、一度ならずあったのではないかと推測しています。

 

私の物を減らす作業には、これが全くなかった。

 

「これは嫌いではないし、問題なく使える。使っているから1個は取っておこう」が全てでした(漫画を除く)。

なので、自分のことはミニマリストではないと思っています。必要最小限以外の、自分にとって大切な物以外も残っているからです。

結論:1つの物をすっかりなくしてしまうには、行動を大きく変えることを受け入れる必要がある。しかし、100→1にすることで出来るようになること、1→0にすることで出来るようになることが、それぞれにある。なりたい自分に合わせて、物を減らす量を決めればよいのではないか

一見、100個ある同じ種類の物を1個にする方が、減らす物の量も多く大変そうに見えますが、実際は1個しかない物を0個(無)にする方がはるかに難しいというのが結論になります。

1から0にするには、「じゃあ代わりに自分はどういう行動を取ろうか?」ということを考え、行動を大きく変えなければいけないからです。

「TVを捨てる」という決断をするということは、「代わりに情報を取り入れる方法(パソコン、スマートフォン、新聞等)を考える。もしくは、情報を取り入れないことに決める」ことがセットで付いてくるということになります。

 

ただし、「だからミニマリストは物を0個にしないといけない。0に出来たら高尚」等という話ではないことは断っておきたいと思います。

そうではなく、「自分がどうなりたいか」で、物をどう減らしていくかを選べばいいのではないかと思っています。

 

よく「物を減らすと選ばなくてよいから決断が早くなる」と言われていますが、そのように「選ぶ時間や迷う時間をなくしたい。決断を早くしたい」という時は、複数個ある物を減らして1つ以上にすれば良いでしょう。

そこからさらに「自分の考え方や現状を変えたい」と思っている時は、1個ある物を0個にすると、強制的に多かれ少なかれ自分の考え方や行動を変えざるを得なくなるはずです。

しかし、「1個あった物を0個にする」ということは想像以上に劇薬ですので、試す時には十分注意してください。私は漫画の全処分で体験しましたが、薬となるか毒となるかは賭けになるかと思います。

 

 

以上、今回の話は1週間くらい前から思いついていて、ネタを寝かしすぎたせいか、1つの記事に話を詰め込み過ぎた気がしているギャクバリがお送りしました。長文になってしまってすみません。

次回は、「物を捨てたら後悔するのは当たり前。しかし、物を捨てても後悔しないと言われるのは何故か。そして、後悔したとしても、物を早い段階で捨てておくメリット」について、メリットについては少し珍しい視点で書いてみたいと思います。