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ミニマリストについて色々言っているけど、『ぼくたちに、もうモノは必要ない。』の佐々木典士さんには物申すことは何もない

どうも。一番好きなミニマリストは佐々木典士(ささきふみお)さん、ギャクバリです。

7つ目の記事となる今回は、「『ぼくたちに、もうモノは必要ない。』が素晴らしい本で、佐々木典士さんの生き様が格好いい」という話をします。

 

ミニマリスト逆張りするんじゃなかったんか?」という疑問はごもっともですが、私はこの本の中で非常に重要な気づきを得たと思っているので、普通に書きます。

 (1)どんなモノにも経験にも「慣れ」て「飽きて」しまう。しかし、人間は、未来の「飽きる気持ち」を想像できない

①『ぼくたちに、もうモノは必要ない。』の全体像

本題に入る前に、『ぼくたちに、もうモノは必要ない。』を読んだことがない人もいらっしゃると思うので簡単に説明します。

 

著者の佐々木典士さんは、編集長をやっていらっしゃっる(た)人で、

以前は本や趣味の物を大量に持っていたけど、

大量に捨てて何もない部屋に住んでいる(た)人です。

(どちらの状態も著書の最初に写真あり)。

 

彼は、ミニマリストを「本当に自分に必要なモノがわかっている人」「大事なもののために減らす人」と定義しており(p.47)、

5章に分けて「ミニマリストが生まれた背景(第1章)」、

「モノを大量に買ってしまう理由(第2章)」

「具体的な捨てる方法(第3章)」

「モノを減らして良かったこと(第4章)」

「幸せとは感じるもの(第5章)」ということについて著書内で述べています。

(何について書かれているか分かりやすいように、実際の章のタイトルとは少し変えています)。

②『ぼくたちに、もうモノは必要ない。』2章の主張―望んだモノを手に入れたのに満足できないのは飽きてしまうから―

この本の中で特に面白く、はっとさせられるのは2章だと思います。

2章では、まとめると、以下のことが書かれています。

住む場所も職場も全て一度は自分が望み、願いが叶った結果であり、買ったモノも自分が欲しいと思ったモノを手に入れた結果である。

にも関わらず現状に満足できないのは慣れて、飽きてしまうからだ。

初めて着た時は嬉しかった服が、10回着れば当たり前、50回着れば飽きる。

しかし、人は「初めて着る時の気持ち」は想像できても、「10回目に着るときの慣れた気持ち」も、「1年後に着るときの飽きている気持ち」も、買う時に想像できないからモノを求め続けてしまう。

さらに、「自分の価値や内面」をモノで伝えようとすると、モノが増え続け、ついには自分のエネルギーと時間を奪うような「自分を損なうモノ」になってしまう。

だから、モノを手放そう。(以上、要約)

つまり、望んで手に入れたものでも、

いずれ「手に入れた状態」に飽きてしまうということです。

③モノも経験も慣れて飽きてしまうのなら、「こうすべき」というレールに乗らなくてもいいし、人を羨む必要もないという私の気づき

本書の中でも触れられていますが、モノだけでなく、素晴らしい経験にさえ慣れてしまい喜びが続かないそうです。

チャンピオンになった喜びでさえ、わずか3時間しか続かなかったというエピソードが挙げられています。

 

だとすると、仮に「一般的な成功のレール」というような進学、就職、結婚という道を自分が辿っていたとしても喜びは続くものでなく、

他人が仮に成功していたとしても比べて焦ったり羨んだりする必要はないなと私自身気づいたのでした。

 

それまで、自分の人生設計をどうしようかと迷っていた私でしたが、

この本のおかげで「望んでいないなら、他人の目が気になるという理由でする必要はない」とはっきり思えたので感謝しています。

④「慣れ」に対抗できるのは「感謝」

とは言っても、「どんな経験もどうせ飽きてしまうから何もしなくていい」というのでは夢がありません。

本書では、「慣れ」や「飽き」に対抗する方法として、肯定的に見ることで「感謝」することを挙げています(第4章)。

「店員が無愛想だった……けど、ぼくのために料理を運んできてくれた」のように今に感謝し続けられれば幸せを感じることができるとのことです。

 

仕事や結婚にも応用できそうだと思います。

(2)本全体を支える「教養(知識)」。「本の印税は寄付した」というモノにとらわれない一貫性の格好よさ

著書を読んでもらえたら分かりますが、本に散りばめられた引用が幅広くて良いものばかりです。

著者の佐々木さんは「持っていた本は自分が賢く見られたくて積み上げていただけで全然読んでいなかった」と書いており、本も全部捨てたようですが、

ぱっと偉人や名著や最近の本の引用ができるのは、元々大量に本を持っていて読んできた積み重ねのなせる業なんだろうなと思います。

 

最初からミニマムでは出来なかったはずなので、元々のマキシマムな状態も決して無駄ではなかったということなのでしょう。

モノはミニマムにしても、教養や知識はマキシマムなのが格好いいです。

 

本には書かれていないことですが(本が出版された後のことなので当然ですが)、

彼は本の印税も全部寄付してしまったそうですね。

 

モノが必要ないなら、モノを買うためのカネも必要ないということでしょう。

格好よすぎる…。

万一私がミニマリストになることがあったとしても絶対真似できないですね。

 

 

以上、改めて『ぼくたちに、もうモノは必要ない。』を読み直して、

「やっぱり物を捨てようかな」と思い始めたギャクバリがお送りしました(影響されやすい)。

しかし、どちらにしろ、事前に用意していた「ミニマリスト逆張りする論」を全部吐き出してしまってからの話ですね。

 

ということで、次回は、「使う物を何でもかんでも手元に置いておいて探す時間 VS 分類して物の定位置を決めておき取りに行く時間」について書きます。

定石とされる片づけ論について考えたことを次回はテーマとします。