書きつくし!

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ミニマリストは自分の家から疎外されている?―ミニマリストが引っ越したくなる本当の理由―

どうも。好きな色は黄緑色(挨拶ネタギレ)、ギャクバリです。

今回は、5番目の記事ということで、「ミニマリストの方々がよく引っ越しをしている(気がする)のは何故だろう」という内容について考えたことを書きます。

ミニマリストは本当に自分の家を居心地良く感じているのだろうか?

ミニマリストの方々が引っ越しをする理由は、勿論、個々人の考えていることとしては色々とあると思います。

例を挙げるなら、「物が減ったから、もっと狭い部屋に住みたいと思った」「物を減らしたおかげで職場に近い場所でも住めるようになったから」「自宅の住まいにとらわれず、色々な場所に住むことを体験したいから」「今の家に飽きたから」「やむを得ない事情」等々あたりでしょうか。

そもそもの話で、「ミニマリストの人がよく引っ越している気がする」というのも、統計を取ったわけでも何でもないので、私のただの思い過ごし、勘違いという可能性もあります。

それでもなお、「ミニマリストの引っ越し」と「ミニマリストが今住んでいる自分の家から出て行きたくなる気持ち」には密接な関係があるのではないかと考えるので、話を進めていきたいと思います。

客をもてなすことが難しいと(自分が)感じている家で、自分をもてなせるかという問題

このことについて考えたのは、ミニマリストの方が「ミニマリストになって唯一少し困っていることがあるとすれば客をもてなしにくいこと」と話しているか書いているのを見た時でした。

ぱっと引用できなくて申し訳ないのですが、この記事を読んでいる皆様も目にしたことがあるのではないでしょうか。

もしくは、ミニマリストの方が「自分の家には人は呼ばない(から問題ない)」と話しているパターンもよく見かけます。

 

そこでふと、「招いた人がくつろげない、人を招きにくいと考えている自分の部屋で、果たしてその人自身が居心地良いと感じることは出来るのだろうか?」と疑問に思ったのでした。

もし仮にミニマリストの人達の感じ方が、やや特殊だったとしても、皆同じ人間であることには変わりありません。

つまり、「食べる、風呂に入る、トイレに行く、寝る、座る」といった基本動作はミニマリストだろうがミニマリスト以外の人だろうが行わなければなりません。

「座布団や椅子の数が足りない」という次元を超えて、ミニマリストが「人を自分の家に招きにくい」と感じているのなら、

それはやはり個々の趣味の範囲(格好いい部屋が好き・可愛い部屋が好き等)を超えて「どこか居づらい部屋」なのではないかと考えます。

物が散乱している部屋と、自分にとって必要な物“しか”ない部屋は、本質的には同じ?

勿論、床に物が置かれまくっていて散らかっている部屋も「これでは人を呼べない」とその部屋の持ち主は思うことが多いはずです。

その状態もまた「部屋の住人にとって居心地が悪い状態」であることには変わりないでしょう。

しかし、同様に、自分にとって必要なもの「しか」ない状態もまた、一見自分にとっては最高な状態のように見えて、あまりくつろげる部屋ではないのではと思います。

自分基準で、「人を家に呼んでも大丈夫」と思えるくらいの部屋が、実は自分にとっても居心地がよい部屋なのではないか

それぞれで「どのくらいのレベルなら家に人を招いても良いと思えるか」の感度は異なるでしょうが、

個人個人で「このくらいの部屋なら人をある程度もてなせそう」と思えるくらいの部屋が、ちょうど自分にとっても癒される部屋なのではないかというのが今日の話の結論です。

合理的な家から、合理的でない自分が排除されていないか?引っ越したくなったら、今一度考えてほしいこと

もしあなたが最近「以前よりも外にいる時間の方が長くなった気がする」「引っ越したいな」と思うようになったのなら、

自分の胸中をよく探って「今のミニマリストである家を窮屈に感じているのではないか」「もう少し余分な物を置いたら、今の家に居続けてもいいと思えるのではないか」と自分に問いかけてみてほしいです。

 

自分を振り返ってみて「全然そんなことないや。見当違いだな」ということであれば、それはそれで全然構わないわけです。

ただ、「自分の家から逃げたくなっている」という事実に気づかず、引っ越しを繰り返しているのだとしたら悲劇なので、一考して見る価値ありと思います。

 

 

以上、今回の話は自分の中でもまだまだ煮詰められていないようで、納得してもらえるように書くのが難しかったギャクバリがお送りしました。

 

6番目の記事となる次回は、「ミニマリストになるのを止めた理由:自分にとって必要な物だけを残し、他の物は捨て終えた先に、本当に理想の未来が待っているかどうか恐怖を感じたことはないか」という話をします。