書きつくし!

激変した生活についてボチボチ書いていきます

ミニマリストは「物を捨てても後悔しない」と言うけれど―私の、自分の物を捨てて本当に後悔した話―

どうも。仕事が終わったら、ミニマリストの方々が更新した動画やブログを見るのを日々の楽しみにしている輩、ギャクバリです。

3つ目の記事となる今回は、「皆さん、ミニマリスト近藤麻理恵さん(『人生がときめく片づけの魔法』の著者)や、やましたひでこさん(断捨離を提唱した方)に感化された結果、

取り返しのつかない物を捨ててしまって後悔したこと、本当にありませんか?」というテーマについて、自分の経験を書きたいと思います。

ある物を捨てて、心の底から後悔した話

思えば、私が「自分の物を捨てる」ということを強く意識したのは、近藤麻理恵さん、通称こんまりさんの『人生がときめく片づけの魔法』を読んでからでした。

 

近藤さんは、簡単に言うと「(触ってみて)自分が本当にときめく物だけを残して、それ以外の物は手放す(捨てる)と、素敵な人生、ときめく生活が手に入りますよ」ということを著書の中で述べられており、

具体的にどういう順序や方法で残す物を選んで行くとよいかも同書の中で書かれています。

 

詳しく書くと話が逸れてしまうので、具体的な方法について気になる方は、本を借りるか買うかして読まれてみてください。

 

この『人生がときめく片づけの魔法』という本の中で、以下のようなことが書かれていて、

私は「確かにそういうものなんだろうな」と特に疑問もなく、正しいと感じていました。

私が片づけの中でお客様に捨てたり手放したりしていただくモノの数は、はっきりいって半端な数ではありません。(省略)

しかし、これだけモノが少なくなったのにもかかわらず、「こんまりさんが捨てろというから捨てたら、あとで困ったというクレームをいただいたことは、じつは一度もありません。(省略)

もちろん実際は、モノを捨てたあとに、「あ、あれ、捨てちゃったよ……」と後悔するようなことが一度もないわけではありません。それどころか最低三回は起こると思って間違いないでしょう。これを聞いて不安に思う方もいるかもしれませんが、だいじょうぶです。

それでもなおクレームがない理由は、「モノがなくても行動すればたいていのことは解決できる」ことを体感してしまうから。お客様が「うっかり捨ててしまったモノ」の話をするときの共通点は、明るいこと。ほとんどの場合、「いやー、一瞬しまったと思っても、死ぬようなことにはならないんですよね」と笑っているのです。(省略)(p.243-244より引用)

というわけで、近藤さんの提唱する「ときめく物だけを残した先に待っている理想の生活」というものが、凄く魅力的で、捨てたからといって深刻に後悔することはないと理解した私でしたが、

実際に「捨てる」のを実行したのは実家を出て一人暮らしをし始めてからでした。

実家を出てから、実家の自分の部屋の物を捨てる

これは、もしかしたら逆の人の方が多いのかもしれませんが、

私の場合、実家を出てから一人暮らしの自分の部屋の物を捨てるのではなく、

実家の自分の物を、帰省した時にかなり捨てました。

 

恐らく、実家の自分の物と物理的に距離を置くことで、自分の物を客観的に見ることが出来るようになったからだと思います。

 

「もう流石に要らないだろう」という教科書やノートや本や服、引き出しの中等ですね。

それでも漫画や本や手紙等はそこそこ残っており完璧というわけではないのですが、

今でも帰省する度に「片付いているな―自分の部屋」と不思議な感覚に襲われます。

 

妹達の部屋と比べて私の部屋の方が片付いているせいか私の部屋に、使っていないであろう家族の誰かの布団が置かれているくらいです(笑)

(そういえば、だから私の部屋に置かれているということに、この記事を書いていて気づきました)。

引っ越しの時に、ついに一人暮らしの自宅の物も捨てる

前置きが、やけに長くなってしまいましたが、やっと本題の「物を捨てて滅茶苦茶後悔した話」に入ります。

実家の自分の物を捨てた私は、いよいよ一人暮らしの家を引っ越すと言う時に「物を減らそう」と思い立ち、実行することにしました。

 

近藤さんが自著の中でおっしゃっている通り、服→本の順番で物の選別を行い、この2つについては成功したと思っています。

私は、近藤さんの定義するモノの分類の中では、服に一番思い入れがなく、

本が一番好きなので「どうなるかな?」と思っていたのですが、服にしろ本にしろ捨てたことに一切後悔はないです。

 

むしろ一番思い入れのない服の方が「まだ乾いていなくて着るズボンがない」となって少し困ることがあるくらいで、

本にいたっては「捨ててしまってしくじった」と感じたことは全くないですね。

前回の記事と今回の記事で文を引用した本が手元にあることからも、判断を間違っていないことが見て取れるかと思います。

―いや、仮に手元になかったとしても、借りるか買い直すかすればいいので、本当の意味では後悔はしないでしょうね。

全く使っていなかった「貰いもの」のキャンドルを捨ててしまう

はい。私が唯一、捨てて心から後悔している物の話です。

 

私は、物を捨てていく流れで、台所に置いてあった貰い物の「青いグラスに入ったキャンドル」が、

「何だかグラスがベタベタしていて、引っ越しで段ボールに詰めるのも、万一着火したら危なそうだし、使うこともないから捨ててもいいだろう」とその時は考えました。

 

実はこのキャンドルは、自分が所属していた研究室の大学教授が、外国に行った時に「研究室の皆に」と買って来てくれたお土産だったのです。

だから取っておいたのですが、いざ引っ越しとなった時に「いやもうこれは捨てた方がいいだろう」と思い、全く後悔なく捨てました。

捨ててからも特に引きずることもありませんでした。

後から、教授がその「お土産」を選んだ時のエピソードを知ってしまう

しかし、私が大学を卒業して何年か経った後、教授が定年退職なされることになり、その教授の研究室に所属していた私達は当然退官式に呼ばれ、私は出席しました。

そのパーティの時に、教授がキャンドルを買った時に教授に同行していた人から、

「あのキャンドルは、教授が、あれがいいかなこれがいいかなと色々選んで買ったものなんだよ」という話を聞いたのです。

その時、私は、その上品で可愛らしい教授が、異国で自分の研究室生のために悩みながらもルンルン気分でお土産を選んで買ったであろう情景がありありと思い浮かび、

温かい気持ちになると同時に、「あっ!自分はそのキャンドルを捨ててしまった!」と激しく後悔したのでした。

自宅に帰ってからも、のた打ち回りたくなるくらい「何で捨ててしまったんだろう。捨てるべきでなかった」と思っていました。

何故、ここまで揺さぶられる程の後悔が襲って来たのか、改めて分析してみた

当時の私は、「貰い物は、貰い物をくれた相手の気持ちを受け取れば、その物の役目を果たしたことになるから捨てて大丈夫」という考え方に、少しは気を紛らわすことが出来たものの、

本当の意味で癒されることはありませんでした。

 

8割くらい「捨てても良かったんだ」と認めることが出来たのは、

すっかり忘れていたのですが、冷蔵庫の横にかけて飾っている水色の丸い物体(確か元々は中にお菓子が入っていた)もまた、教授が青いグラスのキャンドルと一緒に買って来てくれたお土産で、

私はちゃんとその時に教授から貰った物を残してあるんだ」と気づいた時でした。

 

その水色の丸い物体は、完全に自分の意識の外にあったので(冷蔵庫の横に飾ってあるのに)、

自分がまだ持っていることに気づいた時は本当にびっくりしました。

それでもまだ心のどこかで、「青いキャンドルも捨てるべきではなかったな」と思う自分がいるのも事実のように思います。

 

この記事を書くと決めてから「何故私は、この貰い物を捨てたことを今でも悔やんでいるのだろう」と1日考えてみました。

最初は「せっかく選んでくれたのに捨ててしまった」罪悪感だろうかと思っていたのですが、本当の原因は2つあると分かりました。

 

1つは、「青いキャンドルは、教授の示す『貴方は私の研究室に所属する大切な研究室生なんだよ』という証だったのに、その気持ちを汲み取ることなく捨ててしまったという思い」であり、

もう1つは「自分が『思い出の物』『人から貰った物』を見極める力が未熟。つまり、思い出や周囲の人と今までまともに向き合えていなかったせいなんじゃないか?」ということでした。

 

もう少し言い方を換えると、お土産を貰った時に、相手の込められた気持ちに気づくことなく捨ててしまったことに対する後悔(と研究室への所属意識への執着でしょうか?)と、

人からの貰い物について今までまともに考えたことがなかったために、相手の意識と自分の意識のギャップにショックを受けてしまったということかなと思い至りました。

皆は、本当に上手く、後悔することなく捨てられているのだろうか?

そもそもの話で、近藤さんは「思い出の品は最初に手を付けると絶対に失敗するから、最後に選ぶように」と書いてあるので、

下手に「思い出の品」に分類されるであろう物を、段階を踏まずに捨ててしまった自分に全責任があります。

というか、自分が決めて実行した時点で、近藤さんが何と書いていようが、自分に責任があると思っています。

 

しかし、ミニマリストの方々が「物を捨てても本当の意味で後悔したことがない」という話を見るたび、聞くたびに

「本当にそうなのだろうか?取り返しがつかない物を捨ててしまったと後悔したことがある人はいないのだろうか?」と疑問ではあります。

冒頭にも書いた通り、私がミニマリストの方々の動画を好きでよく見るのですが、

私のように「取り返しがつかない物を捨てて後悔をした人の話」を見たことがないんですよね。

 

「捨てた後悔よりも、捨てたことで得られたメリットの方が圧倒的に多いから全く気にならない」という意見はよく見かけるのですが、

私の場合、「確かに物を捨て、要る物や好きな物を残したことで良かったことは多々あるが、それとこれとは別の次元で、後悔している」という感じです。

 

皆さんはどうでしょうか?物を捨てて本気で後悔したことはありませんか?

 

 

以上、予想外に文が長くなってしまって驚いている、ギャクバリがお送りしました。

ちなみに、本当に近藤さんのことは好きで、彼女の番組(KonMari~人生がときめく片づけの魔法~)を見るためにわざわざネットフリックスに登録して、番組を8個全部一気に視聴したくらいです。

彼女の「その物は本当に貴方の未来に持って行きたいものですか?」という言葉(うろ覚え)が一番胸に響きました。とても良い番組でしたね。

 

さて、次回の記事では、「ミニマリストが発信していくと、必ずネタが尽きてしまう宿命」について考えたことを話したいと思います。