書きつくし!

激変した生活についてボチボチ書いていきます

SFC版『学校であった怖い話』新堂誠のテーマ曲をバイオリンで演奏してみた

どうも。ギャクバリです。

 

たまにはブログで新しいことでもしようということで、前にずっと習っていたバイオリンを何年かぶりに弾いてみました。

 

曲は、学校であった怖い話というスーパーファミコンのゲーム内で使用されている『新堂誠』という曲です。

以下の文章は、よろしければ、聞きながらでも読んでください(スクロールしても音は消えないので)。

 

使用曲:『新堂誠』(『学校であった怖い話』より)渡部陽子さま作曲

演奏:ギャクバリ

(1)楽曲について:非常に美しいメロディのピアノ曲

元々は、ピアノで弾かれている曲です。

この曲が使用されているゲームはホラーゲームなのですが、

良い意味で、ホラーゲームの曲らしからぬ美しい曲だと思います。

また、この楽曲だけでなく、ゲーム内で使われている他の楽曲も全て素晴らしいです。

 

最近、ニコニコ動画で、『学校であった怖い話』をゲーム実況(=喋りながらゲームをしている動画を投稿すること)していらっしゃる方がいて、

「この曲弾きたい!」という気持ちがむくむくと湧いて来たのがきっかけで弾いてみました。

 

学校であった怖い話』自体は、元々Revinさんのゲーム実況で見て知っていて、

自分でもWiiバーチャルコンソールを買ってプレイしたことがあります。

ゲームの話については、またいつかするかもしれません。

(2)演奏について:バイオリン用に曲を置き換えるのに苦労した

それで、バイオリンで弾こうと思ったのはよいのですが、

「本当に何年ぶり?」というくらい、まともに弾いていなくて、

弾くのが精一杯という感じでした。

音に情感を乗せるというところまで行っていなくて済みません。

 

まあ、そういう問題だけでなく、技術的な部分でも「どうした?」という部分が山盛りなのですが、多めに見てやっていただけると有難いです。

(特に一音シャープを付け損なっているのが何回聴き直しても気になります。

撮り直せという話なのですが、いつかそっと音声部分だけ更新し直しているかもしれません)。

 

バイオリンで弾くにあたって、一番苦労したのは、「元々がピアノ曲」ということでした。

「この曲を演奏してみた動画は、ピアノなら見つかるのに、バイオリンでは全くないな」とは思ってはいました。

 

それで、いざ自分で簡易に楽譜を書き起こしてみたところ、理由が分かりました。

「バイオリンでは出せない低い音が使われている曲」だったのです。

バイオリンは残念ながら低いソの音までしか出せないんですよね。

 

そのため、一オクターブ変えたり(例えば、同じソの音でも、高い方のソの音に変更するということです)、

和音(音を一つだけでなく、二つ以上鳴らすことです)で誤魔化してみたり、何か色々しています。

 

また、バイオリン用の楽譜がないので、自分で指使い(人差し指で弦を押さえるか、中指で押さえるのか等)や、

弓の運び(どの音まで弾いたら、弓の動きを逆にするかということ)も考えないといけないので、そこが一番大変でした。

 

特に、自分の考えた弓運びが不味いせいで、余計に弾きにくくなったりリズムが崩れたりした部分はあったと思います。

 

楽譜の有難みが本当によく分かりました。

 

さて、そろそろ演奏は終わった頃でしょうか?(まだ終わっていないかも?)

お聴きいただいて、誠にありがとうございました。

 

 

以上になります。拙い演奏でしたが、メロディ自体の美しさを味わっていただけたら幸いです。

また、今後も、ときどき演奏してブログに投稿しようと計画しています。

 

ただ、次回は、出産祝いのメッセージで、送る人に合ったオリジナル感が出せる文というものを思いついたので書きます。

ただし、人によっては使えない場合もあるかもしれないので、参考程度のものとして、期待しすぎないようにお願いします。

もっと前から今のスタイルでも良かったと思う生活様式

どうも。涼しくなって過ごしやすい気候になって来た気がするギャクバリです。

 

今回は、すっかりお馴染みになった生活様式の中で、「もっと前から、こうなっていても良かったな」と思ったことについて話します。

(1)店のレジ前のビニールシートとコイントレー

買い物をしてレジで会計をしてもらうときに、店員さんと客の間にビニールシートがあるのがお馴染みの光景になったように思います。

 

ふと、会計をしてもらいながら、

「これがあるべき姿というのか、もっと早くから、客と店員の間にビニールシートを設置しておいても良かったのかもなあ」という考えが浮かんできました。

 

むしろ、今までが、客が咳をしようが、話しかけて来ようが、インフルエンザの季節になろうが、

店員さんは、何の盾もなく、無防備なまま晒されていたんだなと思ったわけです。

 

これは、店員に限った話ではなく、客の立場からしても全く同じですよね。

 

お金の手渡しにしても、今まで手ずから渡すのが礼儀のような風潮があった気もしますが、

コイントレーを介してお金をやりとりするのが主流になったのも良かったなと思います。

 

今年は、このように、レジでのビニールシートやコイントレー、マスクを付けるのが一般的になったおかげで、

逆にインフルエンザも流行りにくくなって、全体的にウィルスによる被害が減るかもしれないなという気が今からしています。

 

毎年、インフルエンザが流行っていることを踏まえても、「もっと早くから、この対策をしておいても良かったのかも」と思いました。

 

もしかしたら、菌やウィルスに晒されにくくなることで、これから先、人間の免疫や抵抗力が弱くなる等の弊害も出て来るのかもしれませんが、そのときはそのときでしょう。

(2)学校に行かなくても家で学べる機会の充実

店のビニールシートやコイントレー等が広まった一方で、

不十分なまま元の状態に戻りかけているなと感じるのが、「学校に行かなくても家で学べる(授業を受けられる)仕組み」です。

 

勿論、対面だからこそ子供たちに教えられることや、同年代の子同士での学び(対人関係)もあるはずです。

 

しかしながら、不登校の子が、また学校に戻ろうとしたときに足枷となることの一つに「学校に行っていない間、受けていない授業の部分が分からない」ということがあります。

 

「また学校に行こう」と思えたときの(または学校に行かなかったとしても学べる)ために、

授業内容の録画やオンライン上のやりとり等で、家でも学べるようにする仕組みが、この機会に大きく進めば良かったのですが、

残念ながら田舎ではほとんど変わらなかったようです。

 

ですが、都会や大学以上では、大きく動きが見られたようなので、これからの動きに注目ですね。

 

 

以上になります。結局、「どうしても変えざるを得ない状況に追い込まれる」ことが、一番の原動力になるのかもしれません。

 

次回は、珍しく(初?)、予告せずにフリースタイルで書きます。