書きつくし!

激変した生活についてボチボチ書いていきます

作家が編み出した言葉を、一般的な言葉だと思って使っていた話

どうも。高校のとき図書委員だったギャクバリです。

 

今回は、小ネタで、「作家が編み出した言葉を、一般的な言葉だと思って使っていた話」をします。

 

私は今は「一般的でない」と気づいて使うのを止めてしまいましたが、

本を読んで、その作家特有の言葉を見つけたり、

「この言葉を使っているということは、この人も、あの作家のことが好きなのかな」等と思ったりするのもいいなという話です。

(1)高校のときに夏目漱石の小説を読んで、彼特有の当て字や造語と、一般的に使われる言葉がごっちゃになる

以前、このブログ本文に書いたか、コメントの返信に書いたか忘れてしまったのですが、

高校のときの国語の教科書に夏目漱石の「夢十夜」が載っていて、

その中の「第一夜」の描写が凄く美しいなと思ったのがきっかけで、

夏目漱石の作品を全て読んだことがありました。

 

図書委員だったので、図書室に入室した生徒の数を専用の道具でカチカチと数えながら、本がいくらでも読めたからですね。

 

大人になってからは小説をあまり読まなくなったので、このときに読んでおいて良かったとは思うのですが、一つだけ思わぬ副作用がありました。

 

それは、夏目漱石の小説には、漢字の当て字や造語が多いらしいのですが、

当時の私は「彼の作品の中に一般的でない言葉もある」ことに気づかず、

知らず知らずの内に、彼の当て字や造語も吸収してしまっていたということです。

 

その中の一つに「非道い」という、漢字の当て字がありました。

何となく読み方は分かるでしょうか。

「非道い」と書いて、「ひどい」と読みます。

 

夏目漱石の作品を読んだことで、「“ひどい”は、漢字で”非道い”と書くんだ」と完全に刷り込まれてしまったわけです。

 

それで、高校から大学にかけて、「ひどい」のことは「非道い」と書き続けていました。

(2)パソコンで漢字変換できずに「変だな」と思い、インターネットで単語を調べたところ、当て字であることに気づく

異変に気づいたのは大学生になってパソコンで文字入力をしようとしていたときでした。

 

「ひどい」を漢字変換しようとしても「酷い」しか出て来ないことに気づきます。

 

最初の内は、

「ひどいの漢字変換で、非道いが出て来ないのは不便だなあ。まあ、パソコンだから仕方ないか…。でもやっぱり、この場合は、酷いじゃなくて、非道いが相応しいな」

と、苦肉の策で「非道(ひどう)」と漢字変換してから、「い」を付け加えて「非道い」と書き続けていました。

 

しかし、それも面倒になってきて、あるとき「非道い 漢字変換」のようなキーワードでグーグル検索してみました。

 

すると、「非道いは、漱石の当て字ですよ」のように書かれたページを見つけて、

「ええっ!?」と、このとき初めて、「非道い」は一般的な言葉ではないことを知りました。

 

それまで私は、状況など「過酷」の方の意味でひどいときは「酷い」で、

人などに対して「非道」に感じるという意味でひどいときは「非道い」だと思っていたので、「しっくり来ないなあ」と思いつつ、

当て字を使い続けても仕方がないので、それっきり「非道い」とは書かなくなりました。

 

ただ、それまでの私の文章を読んだ人には「この人、夏目漱石に影響されているんだな」と生温かい目で見られていたのかもしれません。

(3)それぞれの作家特有の言葉や言い回しが、作品の中に散りばめられていると思うと面白い

夏目漱石の当て字や造語は群を抜いて多いようですが、

その他の作家や本の著者でも、分かる人には分かるような特有の言葉や言い回しがあるのかなと考えると、そういうものも本を読む醍醐味なのかなと思います。

 

さらに、その作品を読んだ人が、知らず知らずの内に影響されて同じような言葉を使い、

その作家の読者に「この人も、あの作家の本をよく読んでいるのかあ」と伝わるものがあれば、尚のこと面白いなと思います。

仲間を見分ける秘密の暗号のような気がしますね。

 

夏目漱石の当て字については、Wikipediaに色々と載っていたのですが、一般用語化されたものも多いみたいです。

本当に漱石が編み出したのかは確定はできていないようですが、「浪漫(ろまん)」や「沢山(たくさん)」は、確かに今でも一般的に使われているように思います。

また、「非道い」も、使っても間違いではないみたいです。

ja.wikipedia.org

 

以上になります。漫画だと、「使っていたらその作品や作者のファンだと分かる言い回し」が沢山あって、広く共有されているような気がしますね。

同じように、それぞれの小説家のファンに「その作家特有の言葉ってある?」と聞いて回りたいなと、ふと思いました。

 

次回は、閑話休題で、服屋で聞いた、ボールペン汚れを落とす方法の話をします。

本を読んで知らない言葉があるということは、その本の著者は、自分が知らない世界を知っているということである

どうも。4連休の2日目、ギャクバリです。

 

今回は、「本の中で、知らない単語や熟語や言い回しが出て来るということは、

単に自分がその言葉を知らないというだけでなく、

その本の著者や作者が、自分の見たことのない世界を確実に知っているということだと思う」という話をします。

(1)本を読んで、知らない言葉に出会うということ

前回このブログで、本を読んだときに出て来た見慣れない単語をずらっと抜き出してみました。

minimalist-gyakubari.hatenablog.com

瀰漫(びまん)とか、上意下達(じょういかたつ)とかの言葉ですね。

 

それで、本を読んでいて、初めて見る言葉だったり、自分が使わない単語が出て来るというのは、

ただ単に「この言葉を自分は知らなかったな」というだけでなくて、

「その言葉が使われている分野や世界全般を私は知らないということなんだろうな」と思ったわけです。

 

逆に、その本を書いている人は、自分が見たことのない領域や世界を見たことがあるということです。

 

それはそうですよね。

 

その人が発明した造語以外は、頭に降って湧いてくるわけではなく、

その言葉は元から存在していたわけで、

じゃあ何故その言葉を知っているかというと、その言葉に触れる機会がどこかであったということ以外あり得ません。

 

反対に、その言葉を私が知らなかったということは、私はその言葉に今まで出会うことがなかったというわけで、

これまでの人生の中で、その言葉が使われている世界を素通りして生きてきたと言い換えることもできます。

 

なので、文章を読んでいて知らない単語や言い回しが出て来ると、わくわくするところがあります。

「この文章を書いた人は、私の知らない世界を見て来て知っている人なんだろうな。どんなことを教えてくれるんだろう」と思うわけです。

(2)勿論、難しい言葉に限った話ではない

上で例に挙げている言葉は、難しい言葉寄りの言葉ですが、この話は何も難しい言葉に限った話ではありません。

 

内輪で使われる言葉も、知っていればその世界のことを見聞きしたことがあるということですし、知らなければその世界を見聞きしたことがないということです。

 

例えば、文章の最後につける(笑)の「わらい(warai)」の頭文字を取って、文末に「w」を付けること一つ取っても、

意味が分かる人は、インターネット文化に詳しく、

「文章の最後にwが付いてるのは何?」と思う人は、あまりインターネットの文化に今まで触れて来なかったと言うこともできるでしょう。

 

それで、この「w」をいっぱい増やして「wwwwww」とすると「草が生えている」ように見えることから、

文章の最後に「草」もしくは「草生える」等と書いても「w」と同じような意味になるということが分かる人は、

さらに「ニコニコ動画」という動画投稿サイトの文化にも詳しい(又は、詳しい人の文章に触れたことがある)ということになります。

 

勿論、内輪の言葉(スラング)だけでなく、プログラミング特有の言葉だったり、デザイナーさん特有の言葉だったり、ミニマリストの方々が使う言葉だったり、詩のような言葉だったり、

それぞれの世界がうかがい知れるような聞き慣れない言葉に出会うのも面白いことだなと思います。

知らない言葉というのは、今まで知らなかったことについて知る鍵のようなものだなという気がします。

(3)難しい言葉も「読みにくい」と敬遠するより、「何か自分が知らない話を聞けるチャンス」と思った方が、世界が広がりやすい

なので、「知らない言葉が多い本」に出会ったときに、「難しい言葉だらけで読みにくいな」と避けるよりは、

「こんなに自分が知らない言葉を知っているということは、必ず、自分が知らない分野のことを知っていて、自分とは違う見方ができる人が書いている本だ」と思って読み進めて、まず間違いないと私は考えています。

 

「分かりやすく書く」「簡単に書く」ということが良しとされていて、勿論、分かりやすく書かれていることは大事なことではあるのですが、

「分かりやすく書こうとしているようなのに、それでも残っている難しい(知らない)言葉」というものは、今まで知らなかった新しいことを知る重要な手がかりだと思います。

 

 

以上になります。まだまだ知らない言葉やことが沢山あると思うと楽しくなりますね。

 

次回は、この話から派生して、「使っている言葉で、その人が何を読んだのか一発で分かる言葉もある」ということを、夏目漱石の小説で使われている言葉の話でします。

この言葉を使えば「夏目漱石の小説のファンなんだな」ときっと思われますよ。